最近、『見えないものをみる抽象の目』って本を読んだ。深いテーマを扱ってるんだけど、めっちゃ心に刺さっった。
マトリョーシカみたいな構造や優越の観念が、いつの間にか自尊心を削っていく話、特に親からの影響について書かれてる部分に共感しまくり。
特に、「負けたら愛されないんじゃないか」って恐怖が本能的に湧いてくる感覚、わかる人多いんじゃないかな?
親の期待=愛情? 絡み合うプレッシャー
親の期待って、愛情とガッチリ絡み合ってるからこそ重いよね。良かれと思ってかけてくるプレッシャーでも、気づかないうちに「こうあるべき」って枠にはめられて、自分の価値を見失いがち。
例えば、親が無意識に子どもを比較する心理。あれ、根深いよね。
「あの子はこうなのに、なんであなたは…」とか、愛情のつもりで言った言葉が、子どもには競争の呪いみたいに響く。
私も、子どもの頃、きょうだいや周りと比べられたとき、「私じゃダメかな」ってチクチク心が痛んだ記憶がある。
親の比較って、実は親自身の価値観や不安の投影だったりする。社会で「成功」を強く意識してる親だと、子どもに「優れててほしい」って願望が強く出ちゃう。
逆に、親自身のコンプレックスが絡むと、「自分を超えてほしい」って期待になったり、自信過剰だと「うちの子は特別」ってプレッシャーになったり。
あなたは親や周りから比べられた記憶で、印象に残ってるエピソードってありますか? そこから見えてくる親の心理、意外と自分を解放するヒントになるかも。

恵まれた環境でも、見えない傷はできる
恵まれた環境にいたって、その中で戦ってる人は多いよね。
親の「営業」が強いと、なおさら自分を見失いがち。愛情とプレッシャーが混ざった言葉って、頭じゃ「愛だ」ってわかってても、心には「負けたら終わり」って恐怖を植え付ける。
でもさ、こういう無意識の傷や恐怖に「気づけた」時点で、ちょっとずつ自分を取り戻す一歩を踏み出してる気がする。気づくのって、簡単そうで実はめっちゃ勇気いる。
あなたはどうやってそのプレッシャーと向き合ってますか?
私、最近は「親の期待も、親の物語の一部」って割り切って、自分の中の「私だけの物語」を探すようにしてる。思い描いていた自分の人生と現実の自分が違うって否定したくない。否定したら自分が選択したことも出会った人も否定することになるから。まだ模索中だけど、少しずつ軽くなってる気がする。
VUCAな時代と、ジャッジの罠
職場ってほんと、いろんな人の育ちや背景が透けて見える場所。経済的な豊かさが心の豊かさや人間性に直結しないって、つくづく思う。
傷や失敗をどう受け止めてきたか、違う環境の人をどれだけ見て理解しようとしてきたか――それが人としての深さや柔軟さを作る。
白か黒か、正解か不正解かでバッサリ判断する人、いるよね。
学歴や年齢で人を測るのも、昔はシンプルで生きやすかったのかなって思う。情報がテレビや家族、村レベルの狭い世界に限られてた時代なら、わかりやすい基準でジャッジすればOKだった。
でも今はVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代。情報は溢れてるし、価値観も多様で、単純な物差しじゃ対応しきれなくなってる。固執すると、逆に自分が時代に置いてかれちゃう感じしませんか?
職場で「白黒つけたがる人」や「学歴・年齢で判断する人」とぶつかったとき、あなたならどうしてる?
私は、相手の背景を想像して「この人、こう考える理由があるのかも」って一旦受け止めるようにしてる。それで少し対話の余地が生まれたりするから。

イーロン・マスクの這い上がりから学ぶタフさ
イーロン・マスクの「失敗から立ち上がる」話に共感する。
何度も挑戦して、転んで、這い上がってくる姿って、人間としてのタフさや信念を感じませんか。SpaceXやTeslaで崖っぷちから這い上がったエピソードとか、失敗をただの終わりじゃなく次へのステップに変えるマインド、ほんとすごい。
ああいうタフさに共感できるってことは、自分にもどこかそういう強さがあるのかなって、静かに自分を褒めちゃう瞬間(笑)。
VUCAな時代だからこそ、違いをジャッジせず受け止めるマインドが大事だと思う。
著名人の立ち上がり方から、自分に取り入れてる考え方や行動ってあなたもありますか?
私は「失敗しても次がある」って呪文みたいに唱えて、ちょっとずつ前に進むようにしてる。それに失敗かどうかは後付けでしかないから。
あなたはどうやって自分のタフさを育ててますか?



コメント